2021/3/20 ~ 21に、信越本線・弥彦線・米坂線・左沢線・仙山線に乗りに行きました。
結構前の話なので、正直あまり覚えていませんが、写真をメインに掲載しようと思います。
費用
旅程
1日目
- 東京 10:32 ー(長野新幹線 はくたか559号)ー 12:30 上越妙高
- 上越妙高 12:40 ー(えちごトキめき鉄道 普通)ー 12:45 高田 → (高田を少しだけ散策)
- 高田 13:12 ー(特急しらゆき5号)ー 14:32 東三条 …(徒歩)… 15:07 北三条 ー(弥彦線 普通)ー 15:10 燕三条
- 燕三条 15:41 ー(弥彦線 普通)ー 15:48 東三条
- 東三条 15:59 ー(信越本線 普通)ー 16:28 新津
- 新津 16:32 ー(羽越本線 普通 838D)ー 16:59 新発田
- 新発田 17:05 ー(羽越本線 普通 2132M)ー 17:33 新津 17:35 ー(信越本線 普通 2459M)ー 17:55 新潟(泊)
2日目
- 新潟 08:40 ー(白新線・羽越本線・米坂線 快速べにばな 3822D)ー 11:31 米沢
- 米沢 11:36 ー(奥羽本線 普通 437M)ー 12:25 山形
- 山形駅前 ー(バス)ー 集古館 …(徒歩)… 昼食 ー(バス)ー 山形駅前
- 山形 15:27 ー(左沢線 普通 339D)ー 16:08 左沢 16:15 ー(左沢線 普通 344D)ー 16:52 北山形
- 北山形 17:01 ー(仙山線 普通 834M)ー 18:17 仙台 → 夕食・土産購入
- 仙台 ? ー(東北新幹線 )ー 東京
いきあたりばったりの旅とは違い、今回は計画が全て…。本数が少なく気をつけるべきは、
- 長野新幹線(東京発で上越妙高に止まるのが14本/日)新幹線が停まるとはいえ、その中ではローカル駅の上越妙高…。
- 弥彦線 (東三条~吉田 14本/日)地味に少ないんですよね…。私は燕三条~弥彦は乗ったことがあったので、東三条~燕三条だけ乗りました。
- 羽越本線(新津~新発田 12本/日)こっちも本線のくせに地味に少ないんですよね…。皆白新線経由で新潟に行ってしまうからか。
- 米坂線(羽前椿~米沢 6本/日) 快速べにばなを使いました。これに乗り遅れると、次は4時間後…という、中々背水の陣な旅程(その場合は左沢線を諦めることにしていた)
- 左沢線(寒河江~左沢 13本/日)山形11:55の次は、左沢行きが15:27で少し不便。寒河江も比較的大きな街なので、時間を潰せなくはないと思います。
越後線 柏崎~新潟も多分一部分だけ乗ったらしく、未乗線区があります。で、柏崎側は(あまり有名ではない気がしますが)9本/日と中々の閑散っぷり。 今回は、うまく旅程に入れられない気がしていて、信越本線と弥彦線を優先しました。
1日目
上越妙高・高田
(私としてはできる限り早い)長野新幹線で上越妙高に向かう…つもりだったのですが、案の定寝坊しました。1本遅いはくたかで向かいます。 上越妙高に止まるのははくたかのみ、地味に不便です。
…やっぱ品川から乗れるのと、東京駅まで行く必要があるのとでは、微妙に面倒くささが違いますね。
(あんまり覚えていませんが…私の中の一般論として)東海道新幹線のチャイムを聞いてもあまり気分は上がりませんが、東北・上越・長野新幹線のチャイムは、今から東京を脱出し旅行するのだという高揚感が湧いてきます。有り体に言ってワクワクします。
久しく東京に引きこもって荒んでいた心も、首都圏外の車窓を見ると安らぐというものです。
新幹線は爆走しながら時間通り上越妙高に着きました。 本当だったらここから普通列車で高田まで移動し、高田城趾を見て、あわよくばご飯を食べてから特急しらゆきに乗るつもりでした。 しかしながら、寝坊のせいで1本遅い新幹線になってしまい、高田に行っても城跡まで行く余裕はなさそうです。 うーん。まあ、それでもなるべくいろいろな街を見てみたいと思い、普通列車で高田に行きました。
上越妙高はこじんまりとした駅ではあったのですが、新幹線の改札を出るとそこそこ大きなお土産屋さんがありました。 妙高が近いから、冬はきっと賑わうのでしょう。 旅行客に優しそうな駅でした。
改札を出て、直ぐにえちごトキめき鉄道の改札に向かいます。 ここで、「自由席特急券を上越妙高から買っていたが、やっぱり高田から乗りたいんだけどいいですか?」みたいなことを言ったら、「???まあ大丈夫ですよ???」みたいな反応を得ました。
えちごトキめき鉄道のホームに降りると、2番線には既に30分後ぐらいには発車する特急しらゆきの車両が停まっていました。
普通直江津行きは意外と学生が乗っていたので驚いた気がします。土曜の昼だからでしょうか。あとロングシートでした。 5分くらいで高田に到着。そそくさと降ります。
城下町高田、私のイメージはやっぱり夜桜なんですが、城跡まで行く時間はなかったので、メインストリートっぽい本町通りというところを少し歩いて、高田写真館という名の映画館まで行ってみました。
駅に戻って、今度は特急しらゆきに乗ります。 ご飯を食べる暇はなく…
特急しらゆきで東三条へ
さて、高田から特急しらゆきに乗って、未乗線区だった信越本線から見える日本海の車窓を愉しみましょう。
先に、高田駅で、ご飯になりそうなものと、美味しそうだったので高田焼というお菓子を買ってしまいました。 甘いものを摂りすぎるのは良くないんですけど…まあほら、地元にお金が落ちるでしょうし、貢献ですよね貢献、アハハ。
特急しらゆきは…そこまで混んでもなく、そもそも特急なのでそれはもう快適でした。課金による愉悦さ、一度味わうとやめられませんね。 在来線特急は、新幹線ほど早くはないですが、地域間の輸送事情などがわかるし、程よい早さでこれもまた乙なものだよなあと思います。
直江津からはそこそこ人が乗ってきました。といっても、座席が1/2も埋まりませんでしたが。 どうもえきネットのシステムを開発している会社の人が乗ってきて、システム周りのこと話していました。 直江津駅は1日の平均乗車人数がJRだけで2,054人(2019年)。君津くらいっぽいです。
直江津と高田では、直江津のほうが大きいらしいですが、とりあえず行政区画としてはまとめて上越市です。こう、中心都市とその名前が一致していないと中々覚えづらいですね…。直江津で大きな会社は信越化学工業でしょうか。
ほくほく線が分岐する犀潟を通り、土底浜、上下浜と通過します。 このあたりは直江津からの海沿いの市街地が続いているイメージですが、駅は簡素です。 線路の脇は結構木が並んでいましたが、防風林なんでしょうか。
柿崎に停車すると、いよいよ日本海沿いに走ります。海を見るのも久しぶりです。このだだっ広い感じが良いですね。 最初は普通列車で青海川に降りれないか考えていたのですが、本数が限られていてちょっと微妙だったので諦めてしまいました。
海辺の景色を楽しむのもそこそこに、列車はまた市街地に戻って柏崎到着。柏崎は駅前にブルボン(東証二部上場)本社の大きな建物があるのが特徴です。ブルボンは和菓子の老舗が発展して今の形になったのだそう。老舗というと昔ながらの商品を売り続けるイメージがありますが、こういうところもあるんですね。
柏崎で越後線の車両がのんびり休んでいるのを横目に見て長岡へ。さっきまでとは一変して、今度は山間部を突っ走っていきます。 このあたりは流石に雪が残っていました。
途中、塚山で、今度はヨネックスの大きな工場が見えてきます。ヨネックスは長岡の会社なんですね。
長岡からは一路東三条を目指します。新潟県は大きいというのをここで体感しました。長岡、見附、東三条…が結構離れているんですよね。
北三条まで歩いてから弥彦線へ
さて、東三条駅からは北三条駅まで歩くことにします。 弥彦線を乗り潰すだけなら待って乗ればよいのですが…せっかく来たので、少しでも市街の雰囲気を味わいたいというのと、閑散線区の高架駅である北三条駅を見たかったためです。
三条は…歩いてみましたが、いまいちどこが中心なのか分かりませんでした。まあ、燕と一体化している気もするので、三条だけの中心に意味があるのかよくわからないですが…。あまり町という感じがしません。 市街化区域とか、あるのかな?
それでも、歩行者がポツポツいて、あと車はバンバン走っていたので、人の気配はかなりありました。
20分ほど歩くと北三条の駅です。この駅前は少し広々としています。
今調べたら、北三条駅近くには「ステージえんがわ」という…何というのでしょうか、イベント広場のような開放的な建物があるようです。今知りました。中には三条スパイス研究所というビリヤニの出るカレー屋さんも入っているらしいです。うわあ、行けばよかったなあ(インド料理、ビリヤニがかなり好きなんですが、東京でしか食べたことがなかったため)。あと、駅横の高架下では朝市が立つようですね。面白いな。
でも、こういう町おこしというか、地域創生と言うんでしょうか、多分地方ならどこでもやっているのでしょうが、ただそのような施設だけあっても、用がなければ人は結局来ない気がするんですよね(バイパス沿いが賑わうのも必然というか…)。その点どうなんでしょうか。少し気になりました。
北三条駅はこじんまりとした高架駅ですが、この三条市に高架は凄いなあと思うなど。1997年の高架化らしいので、どちらかというと足元の自動車のための高架化でしょうか。
駅は業務委託しているようで、有人でした。委託先はジェイアール新潟ビジネス。結局グループ内なんでしょうか…?なんだか形だけの分社化みたいな気もしますが。2020年度は黒字だったんですね。
北三条駅の1日平均乗車人数は、Wikiによると1981年には2,003人/日だったものが、2000年には654人/日、2019年には360人/日と、急速に減っていっているのが分かりますね。手元の1993年の時刻表だと、その頃の本数が17本/日だったので、本数に比して人がどんどん減っていますね。若い人が減ったのか…。
それでも、駅のホームには数名人がいました。若い人達は遊びに行くような感じでした。…今思うと、どこに?
燕三条駅の散策
さて、燕三条です。ここは上越新幹線が停まる駅で、期待を裏切らない見どころのある駅でした。
まず弥彦線乗り場が高架下なんですよね。謎の階段などが頭上に見えて楽しいです。 あと、弥彦線は直接吊架式という、比較的珍しい種類の架線を使用しています。架線柱が直接パンタグラフが触れる線を支持しています。これは国鉄末期に電化した際に、ただ単に国鉄にお金がなかったからですが…。そのため最高時速も抑えられています。 先の北三条駅付近はトロリー線が見えましたが、燕三条は本当に直接吊架式のようでした。
それから、燕三条は交換用の線路のスペースがホーム裏側にあるんですが、中々の無の空間を生み出しています。巨大な建造物がスカスカだと妙に楽しい。
ちなみに、Wikipediaによると『燕市・三条市には歴史的な確執もあり、駅名を付与する際には「新三条」・「新燕」・「燕三条」・「三条燕」など、複数の案を巡って両市の間で紛糾を極めた。一度は「三条」と「燕」の双方の都市名を駅名に織り込むことでとりあえず合意したものの、今度は燕と三条のどちらを先にするかで再び紛糾する事態に陥った。結局、田中角栄らの仲裁により、駅名は燕を先にした「燕三条」とし、駅長室を三条市側に配置して所在地を「三条市」とすることで最終的に合意した』んだそうです。うわめんどくさそう。
燕三条 → 東三条 → 新津 → 新発田
燕三条駅をひとしきり見終えたら、乗ってきた列車が吉田で折り返してきたものに乗り、東三条へ戻りました。
燕三条では意外と多くの人が電車を待っていたように思います。皆どこにいくんでしょう。新潟?
さっき歩いた北三条~東三条も、電車だと高架を走ってすぐです。電車は急カーブを左に曲がると、東三条駅のホームの端に止まり、これで弥彦線を完乗となりました。
東三条からは信越本線に乗り換え。部活帰りの学生などもいて、結構車内が混み合っていたように思います。新潟も車社会かと思っていたんですが(間違ってはいないと思うんですが)、このあとの新津~新潟含め、電車が首都圏並に混んでいるのがかなり印象的で、新潟都市圏の規模を感じました。
ということで新津までの写真はなし。
未乗線区の(そして意識しなければきっと今後とも乗らないであろう)羽越本線 新津~新発田を潰すために、新津で降りました。
新津は磐越西線・羽越本線・信越本線の交わる鉄道網の要衝ですが、通ったのは初めてだと思います。 今まで勝手に抱いていたイメージではかなり広いところなんだろうなと思っていましたが、それと比べると普通でした。 それでも、新津発着の列車の存在などは面白いなあと思います。
新津からの列車は米坂線に直通する米沢行きで、気動車2両と一気にローカルな雰囲気になりました。というか、今思うと米沢行きって寝過ごしたら大変ですね。手元の時刻表(2020年3月号)によれば、私の乗った列車は20:02に米沢に着くらしいですが、その時点でもう折返しの列車は小国行きしかなく、当日には新潟県に帰ってこれないみたいです。羽前椿までに気付けば最終の快速べにばなで21時過ぎに新潟…。
この気動車は結構ガラガラで、なんで2両なんだろうと思えるくらいでした。ボックス席を占拠し混雑からの解放感を味わいつつ、車窓を眺めていました。
途中、オープンキャンパス帰りと思しき若者が乗っていましたが、それくらいか。
京ヶ瀬、水原と涼し気な名前が続きます。 この区間(新津~新発田)は本線ではあるものの本数が少なく(12本/日)、どういう人が使うんだろうか…と思っていましたが、この区間での比較的大きな町水原で結構人が降りていました。2019年の1日乗車人数は200人なので、大体1本あたり17人弱。2両とかの短い列車からこれだけの人数が降りると、たしかに「結構降りたな」と感じそうです。 ちなみに、水原には水原代官所という見どころがあるらしいです。が、この本数の少なさではどうにもならず、完乗を優先し通過。
車窓はひたすら田んぼとその後ろの山でした。本当にそれが続く。
どこもそんな日に10本前後の本数に対しては設備を持て余し気味…そうだなとは思ったんですが、貨物列車も考えると、意外とこれくらい必要なんでしょうか。
そんな感じでだんだんと外が暗くなるのを感じながら、新発田に着きました。 新潟という大都市の近郊の割にはローカル線らしさを味わえたと思います。
さて…新発田ですが、新発田藩のお膝元だけあって史跡が結構あり、前々から行きたいなあと思っているのですが、夕方に着弾してもどうにもならず、とりあえず駅前だけちらっと見て、無念の折返しです。 (今地図を見たら、新発田城跡は陸上自衛隊の駐屯地になっているんですね。戦前みたいですが、今でもこういう事はあるんですね)
…そう、翌日は新潟から快速べにばなに乗る予定だったので、折り返さないと新津~新潟間が未乗のままで残ってしまうことになります。 それも気持ち悪いので、時間は無駄になりますが、今来たばかりの羽越本線を戻りました(多分旅行3日めとかだったら心が折れて白新線で新潟に行っていたと思います。こういう事ができるのは余裕がある最初の方だけ…)。
羽越本線、復路は電車でした。車窓とかは…特にコメント無しです。
新津からは今日の旅の最後、新潟に向かう列車に乗ります。 で、驚いたのが、やっぱり混んでいる。例えるなら昼間の京浜東北線くらいは混んでいる。 それで、新潟というのは日本海側の大都市なんだなあということを感じました。
18時前に新潟着。ブログを書くまで気付かなかったのですが、これで信越本線も完乗したのでした。 といっても、もはや分断されまくりの信越本線、今JRに残っているのは高崎~横川(こちらは信越線という感じ…)・篠ノ井~長野・直江津~長岡~新潟だけでしょうか。うわ潰しづらい。私は後一応、並行在来線として分離される前の長野~妙高高原~直江津と、しなの鉄道の小諸~軽井沢にも乗ったことがありますが…もはや本線感が全く無いですね(長岡~新潟はどちらかというと上越線が続くイメージだし)。でもまあ、とにかく乗り終わったということです。
新潟駅は、列車の案内板などが千葉駅っぽかったです。 あと、この訪問時は絶賛工事中で、正直駅の構造が全然つかめませんでした。
駅を出て、とりあえずまずはホテルに向かいました。 駅前に出ると広がる大都会。私は今まで新潟という都市を舐めていたんだなとよく理解しました。
ホテルはシングルイン新潟というところです。 どうも地場の企業「株式会社関越共進」というところが運営しているようです。 ホームページには「アーバネックスイン新潟、シングルイン新潟グループは、新潟駅前という立地条件の良さを活かした利便性と、徹底したコスト管理によるリーズナブルな宿泊先として、お客様のニーズにお応え致します」と書いてあるのですが、この徹底したコスト管理は伊達じゃなく、窓が開かないようでした。まあ、これは他でもある気がしますが(建築基準法関連の、換気のための開口部の条件は良いのだろうか…)、NHKが映らないのにはびっくりしました。その分受信料945円×12ヶ月×総部屋数が浮くということなのでしょう。945円を31で割ると30円くらいですから、1日30円分を切り詰めるのだな…という覚悟を感じました。多分ですが、株主が居るとか社会的責任ガーとなるようなチェーンの大手では、こういう事はできないのでしょうね…。
さて、ホテルに着いてからどうするかひとしきり悩みました。昼三条で結構歩いたりして疲れたので、ベッドに横たわりながら。 新潟といえばなんとかタワーというのがあったり、そうでなくても海上保安庁を見に行きたいし…。 しかしお腹が減った。食事を摂りたい。だが感染地域から来たから、あまり外には出ないべきか…でも東京と違い、どこも営業時間に制限なく居酒屋が開いていて結構目移りする…そもそも一人で居酒屋行ってもなあ。 そんな悩みをしてうだうだしていたら、いつの間にか寝落ちしてしまっていました。これら心配も結局全部杞憂に終わりました。
ちなみに、この部屋に居る間に東京で地震があったようです。うーん、無線が活発になりそうなのに、残念といえば残念か…。