朝
昨日はホテルに着いてベッドでゴロゴロしていたら寝てしまいました。 正確には、午前0時過ぎに一度起きたっぽいです。流石におなかが減ったので、高田で購入した和菓子を食べたりしていました。 で、また寝たみたいです。
朝起きて、シャワーを浴び、荷物を準備していそいそと出発です。 流石にお腹が減りました。朝食を食べないとです。 ただ、(これはどこの都市でも同じだと思いますが)朝食を泊まっているホテル以外で食べるのは若干苦労します。 チェーン店以外だと、定食屋というのはあんまりなく、モーニングをやっている喫茶店とか、あるいは別のホテルの朝食バイキング…。
今回は、Google Mapで調べて出てきた、CoCoLo新潟という駅ビルの中にある「魚沼釜蔵 新潟店」というところで採りました。 上にJR東日本系列のホテルメッツがあるらしく、そちらの朝食会場ともなっています。
私の泊まっていたホテル シングルイン新潟からは駅舎を挟んでちょうど対角線の位置にあり、急いで向かいます。 途中、新潟駅駅舎の南側を抜けてきましたが、通路が思ったより狭く、ここは自由通路としての機能を持たせないのか?と感じました。 お店へは2Fから入ろうとしましたが、2Fのぽんしゅ館はたしか閉まっていて、ホテルメッツのエレベーターで1Fに降りてお店に向かいました。 受付の人に外来ですと告げ、その場でお金を払いバイキングです。 疫病が蔓延中なので、ビニール手袋をしてから料理を取っていきます。 料理は結構品数があり、ご当地のメニューもあったので良かったです。さすがは新潟、料理が美味しい。
さて、急いで食べたら駅に戻り、東京に帰るきっぷを買います。 と言っても、経路は新潟 → 米沢 → 山形 → 仙台 → 東京都区内と、そこそこ複雑です。 指定席券売機で手っ取り早く買えればよかったのですが、そうでないとみどりの窓口行きで、そこでどれくらい時間かかるかは出たとこ勝負という、なんとも不安が残る感じです。 なので戦々恐々としていましたが、指定席券売機で普通に買えました。優秀…! これで安心してべにばなに乗れます。
改札を入ると、電光掲示板には米沢行きの文字が。遂に米坂線に乗るのですね。 遠い都市の名前が行き先表示されると旅情がくすぐられるのは私だけでしょうか。
米沢までは3時間くらいかかります。飲み物などを念の為準備しておきます。
ホームに上がると、まだべにばなは止まっていませんでした。 普通の乗客に混じって、その手の人達だろうなあ…という人もちらほらホームで見かけるようになります。 空いているといいなあ…と思いながら、列車を待ちます。
快速べにばなの車両は、どうも出庫のついでに新崎からの白新線普通列車として運転するようで、新潟に入線した後、乗客が降りていきました。 その後乗車して、ボックスシートを確保します。車両は2両だったので、1区画に1人くらいでした(これは終点まで変わらなかった)。
キハ110系は椅子が結構ふかふかなので助かります。行儀はあまり良くありませんが、足を伸ばして長旅に備えます。
快速べにばなで新潟→米沢へ
さて、べにばなで新潟を出発です。 発車前に人がどっと乗ってくる、ということはなく、結局ボックスシート1区画に1人程度のままで走り出します。
白新線を通って新発田へ(一応このとき白新線を完乗したことになりました)向かい、そこからは羽越本線の坂町まで行きます。 眺めは、昨日の新津~新発田間の車窓とあまり変わりませんが、二王子岳でしょうか、雪山が見えたので良しとします。
坂町は、分岐駅ですが割とこじんまりしていました。 ここからカーブして米坂線です。
米坂線に入ると、車窓はひたすら山、そして並行する横川(荒川)と国道113号、という感じになります。 いくら北には朝日、南には飯豊という山があるからといって、線路を敷くにはここしかなかったのでしょうが、それにしても思ったより山深いところを走ります。 その割に、並行する高規格道路があるわけでもないのに1日数本ですし、この路線には需要があったんだろうか…(一時期は山形や仙台と新潟とを結ぶ機能があったようですが…そもそも新潟と南東北にそこまで結び付きがあるんでしょうか?)と思わずにはいられません。
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快速べにばなは快速とは言え、もはや米坂線内は各駅停車。山間の集落近くの駅に、乗降客がたとえ居なくてもぽつぽつ1つ1つ停まっていきます。 駅間は距離があるのか、エンジンを唸らせて結構なスピードで飛ばしていきます。 西の方にある鉄道会社がよく25km/hまで減速するのとは大違いで、JR東日本の余裕を感じます。
べにばなで乗り降りがあったなと思ったのは、途中の小国です。やはり集落と町とでは違うようです。 小国は、山に囲まれていながら、日本重化学工業とクアーズテックの工場があるのが面白いです。 この小さな町からシリコンウェハーが出荷されていたとか。なんでなんでしょう。原材料が近くで取れる?それともダムの電力が必要だった?
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列車は羽前沼沢駅を過ぎ、宇津峠を宇津トンネルで超えると、米沢盆地に入ります。 車窓もひたすら山だったのが、広い平野へと変わりました。新潟側と違い、結構雪が残っていました。
手ノ子をすぎると、始発列車も設定されている羽前椿駅。米沢盆地の間での旅客流動があるということでしょうか。 ここから米坂線は、米沢には直進せず、蛇行するように北へ南へと進路を変えていきます。 その間もポツポツとまた駅に止まっていき、次に大きいのは今泉。ここは長井線の車両がホームで暇そうに佇んでいました。
そこからは若干乗客が増えたな、と思いつつ走って、11時半頃にようやく米沢に着きました。 これで米坂線完乗です。なかなか面白かったんですが、次乗る機会があるのかはよく分かりません。 多分、朝日か飯豊に行った際に使うくらいでしょう。
米沢→山形、山形を少しだけ観光
米沢1131着。お手洗いに行って、1136発山形行き電車で早速移動します。 本当は米沢観光もしたかったのですが…(上杉家米沢藩のお膝元、米沢市上杉博物館とか米沢城址とか…)全ての町に途中下車しているといつまで経っても帰れないので、アクセスの良い街は飛ばします。
奥羽本線のうち新幹線の通るこの区間は、記憶にあるだけで3回通過しており、あまり目新しくはありませんが、前は新幹線での移動だったので、山形に出る若者などが乗ってくる普通列車の旅もそれはそれで面白いものでした。
私が免許合宿に来た赤湯を通ると、電車は大きく右にカーブし、赤湯市街を望みます。 思ったより市街が広がっているなあと思いました。こう、やっぱり駅と街の中心がズレているんですよね。
そうこうしながら1225山形着。ちょっとバスに乗ってふらっと観光にいきます。
山形は山形でこれまた見どころが多く、この時だけで全てを見て回れませんでした。 大きくは霞城公園・最上義光歴史館(つっても最上氏はお家騒動で3代だけで、そこからはコロコロ藩主が変わったのだが…)のあるゾーンと、街の中心である七日町・山形県郷土館のゾーンの2つがあると思います。 私は後者の山形県郷土館に行ってみました。
山形は地方都市ですがバスの本数が結構多く、駅前からバスで向かいます。系統などはGoogle Mapを参照してください。 山形市役所前で降りると、目の前にどーんと巨大な山形県郷土館が現れます。
ここは重要文化財であって、保存されている旧県庁舎・旧議会堂が転用されたもので、外観・内部ともに当時の面影がよく残っているのだと思われます。 中の展示を見ると、なるべく当時を再現するように、床やバルコニーなどを修復したのだそうです。 建てられたのが1916年ですからもう100年以上建っていることになりますが、山形の行政の中心である県庁舎にふさわしい風格を今でも漂わせています。 内部も、当時にしては先進的だったであろう洋風の部屋が復元されていて、私の目からしても豪華絢爛に見えます。
また、展示も充実しており、山形の各地方の紹介や(庄内は結構違うものですね。まあ、たしかに藩も違いますもんね)、有名な三島県令の業績、地元山形の資料に基づいた近代史の紹介など、中々面白かったです。 全体的によくまとまっており、山形県への理解が深まるとともに、このような施設が県民(特に子供)向けに用意されているのは良いことなのだろうなと思ったりしました。
写真撮影不可という札を見かけなかったので、写真を幾つか載せました。でも全てではないですし、是非一度足を運んでみることをおすすめします。
で、次に隣の旧議会堂を見物しようとしたのですが…(実は、博物館系は結構行ったことがあるのですが、議会には全然行ったことがない)催事が行われているとのことで、入れませんでした。残念。仕方がないので外から建物だけ眺めました。
文翔館を見た後は、通りを南に下り、昼食を摂ることにしました。時刻は14時前で、Google Mapを見てもどこで食事にありつけるのかよく分からなかったのですが(ダメだったら駅に戻って平田牧場というお店で食べようと思っていました;疲れていたのでとんかつかあ…という感じだったのですが、他にないので)、七日町御殿堰という複合施設のそば屋がやっていたので、そこに入りました。 味は…老舗とのことですが、私にはそばの違いというものがあまり分からず…。ちょっと高かったかなという印象でした。
このあたりは七日町という場所のようで、いかにも中心地といった風でした。 実際、人もそこそこ歩いていましたし、E-NASという複合商業施設では何かの催しが中庭で行われており、賑わっている印象でした。 が、百貨店大沼とやまぎんホール(山形県県民会館)という2つの大きな建物が一時的にですが廃墟というのは、ちょっと厳しいものを感じました(あと、全然見ていませんが、地階以外のテナントの入りは…どうなんでしょう?アズ七日町など、2・3Fは本屋が抜けてしまったとありました)。 前者の百貨店大沼は、新宿伊勢丹に似た建物で、率直なところ訪問当日がたまたま休業日だと思っていました。が、実は経営破綻していたようです。 やはり、往年はもっと人がたくさん歩いていたのでしょうか。
この大沼の閉店と、マリーン5清水屋という酒田の百貨店の閉店により、山形県からは百貨店がなくなったようです。 そういった点で、この建物が鎮座し続けるというのはあまりよい印象を与えなさそうですが…。
それから、大沼は経営破綻まで紆余曲折あったようです。Wikipediaに色々と書かれていて、よく読めていないのですが、Wikiから拾ってみると下記のような感じでしょうか。プレイヤー多いな。 あと、耐震問題というのは結構大きいのですね。とはいえ、岩手花巻のマルカンビル大食堂のように一部残すという選択肢もあるらしいので、今後どうするのか気になります。
- 2017/05/25 決算資金が不足(https://www.tsr-net.co.jp/news/analysis/20200318_01.html)
- 2017年秋ごろ 再建のスポンサーとして、マイルストーンターンアラウンドマネジメント(MTM)に優先交渉先が決定
- 2017/12/25 MTMと経営支援を受ける覚書を締結
- 2018/04/23 臨時株主総会を開催。株式の100%減資、全役員退任、MTMによる増資の引受、MTMの早瀬社長が大沼社長にも就任したという新経営体制を発表
- 2018/05/XX 早瀬社長→代表取締役、新社長 → 長沢(澤?)社長
- 2019/03/22 臨時株主総会と取締役会。大沼投資組合が、MTMが保有する大沼全株式を担保とする債権者から全株式を取得。早瀬社長等解任。永瀬社長就任
- 2019/06/07 長澤元社長が代表取締役として復帰
- 2019/07/12 取締役が1人解任
- 2019/09/30 永瀬社長辞任
- 2019/10/XX 山形本店の不動産の所有権がエム・エル・シーへ移動
- 2019/11/XX 談合入札が判明し、公正取引委員会による立ち入り調査
- 2020/01/26 山形本店を閉店、従業員を解雇
- 2020/01/27 破産申告の申請・破産手続開始決定
- 2020/07/15 感謝閉店セール開始(商業コンサルタント会社「やまき」が実施)
- 2020/07/15 感謝閉店セール終了
- 2020/11/24~12/1 旧山形店等の不動産競売入札
- 2020/12/26 売却が正式決定(山形本店は「土地・建物を所有する実業家」(前述のエム・エル・シーを含む企業グループの経営者?)→山形市都市振興公社へ)
- 2020/03/04 破産手続廃止決定
- 2020/04/06 大沼の法人格消滅
帰りは、1ブロック移動して七日町バス停からバスに乗り、駅に戻りました。
左沢線を往復
山形からは、今度は左沢線に乗ります(1527発左沢行き)。
率直に言って睡眠不足なのか食生活のリズムが壊れていたからか宿泊施設との相性だったのか、このとき若干体調が悪かったんですよね…(熱ではなく頭痛と気持ち悪さ)。 しかし、今ここで乗らないと、左沢線のためにわざわざ山形まで来るというのは結構な手間で、なんとか左沢線に乗り込みました。
ホームに降りると、左沢線用の塗装が施されたキハ100系がいました。 ああ、そう、これですよね…。前から存在は認知していたのですが、遂に実物を目にして、ちょっと感動がありました。
あと、左沢線は学生が多いと聞いていたのですが、確かに車内には学生が多くいました。 といっても、4両という長さだったので、座席にポツポツ座っている感じでしたが。
車内はべにばなとは違いロングシートで、あとお手洗いもないので、山形近郊の通学路線という雰囲気があります(実際、結構朝は混むらしいです。調べると、混雑に巻き込まれた人のブログが結構出てきます…)。
さて、列車は左沢に向かって行くわけですが、途中私はずっと寝てしまっており、気がついたら終点左沢駅に向かって大きくカーブしているところでした。 左沢では折返しが本来5分だったところ、確か遅れていたので、駅舎の写真を取ることもままならず、切符をそそくさと渡して、お手洗いに急いでいき、帰りの列車に乗り込みました。
左沢(あてらざわ…読めない)、最上川の船運で栄えた町だったんですね。今でも幾つか昔の繁栄を偲ぶ建物が残っているようです。最上川の川辺に立ち、往年の時代に想いを馳せても良かったのですが…何しろ時間がないので、惜しみつつ帰ります。 (ちなみに、「最上川の流通・往来及び左沢町場の景観」として重要文化的景観(建造物に対する伝統的建造物群保存地区と違い、こちらは景観に対するもの)に選ばれているようです。やっぱ見てくればよかったな…)
帰り道は車窓を眺めていました。左沢を出て右にカーブするときの、合わせて蛇行する最上川が印象的でした。
乗客はやはりまばらな感じ。平日だったらこの時間は明らかに混むため4両なのでしょうか。
で、この列車、山形での接続が凄い微妙です。 というのも、山形着が1656で、これから乗ろうとしていた仙山線が1658発と、乗り換え時間がわずか2分なのです。 勿論1時間に1本の世界ですから、接続は取ってくれるのでしょうが、些か不安があります。 なので、仙山線が混んでいたら嫌だなあと思いつつも、手前の北山形で降りました。
北山形 → 仙台 そして帰京
北山形駅は謎の構造をしていました。 そして、案内板がなく、次の仙山線がどのホーム発なのか分からないのです(仙山線は3番ホーム or 4番ホーム)。 しょうがないので、駅舎にある時刻表を見に行って、それで番線を確認しました。 これ、時間に余裕があったから良かったのですが、そうでないとちょっと危なかったかもしれない(その場合は、跨線橋から来る電車を確認し急いで降りるのが吉か)。
仙山線は幸い空いていました。仙台と山形を速達で結ぶイメージだったのですが…(なんか一時期はノンストップの快速があったような)今はバスに負けてしまっているのでしょうか。 途中駅でも全然人が乗ってきませんでした(乗ってきたのは仙台近郊になってから)。
途中、山寺を横目に見ると、列車は米坂線に劣らないような山奥を走るようになりました。 何なら滝などもあって風光明媚ですらありました。
面白山高原、奥新川と、ザ・秘境駅といった駅にもきちんと止まりながら、山越えをし、列車は仙台市街に入ります。 最終的には、今から仙台で飲んだりするであろう若者を乗せつつ、1817分に仙台に着きました。
とりあえず仙台駅前を一瞬だけ見て(ペデストリアンデッキが特徴的ですよね)、お土産を買いました。 本当は牛タン定食を食べたかったのですが、時間が時間なので、仕方がなくテイクアウトに変更。 これだけはコロナ禍によって得したことなのでしょう。