働きたくない

5000兆円欲しい

東京九州フェリーと山口県・福岡県の乗りつぶしの旅(2日目)

(0・1日目まではこちら) vita-brevis.hatenablog.com

目次

2日目

何時に起きたかは忘れたが、多分6時前だと思う。

カーテンを開けたら外が暗いままだったので、北欧を思い出した。

朝食バイキングは諦め出発。メニューがどこかの壁に貼ってあったのを前日に見たが、オムレツを筆頭にして結構品数豊富で美味しそうだった。悲しい。6時からの営業だったならなあ。

日豊本線鹿児島本線 苅田 06:29 → 06:55 小倉 07:09 → 07:23 下関

前日の計画通り、とりあえず小倉駅に行く。 最初の日豊本線は、また扉付近の座席が撤去されたすかすかの813系。

人口が比較的多い北九州を走る幹線だけあって、日曜の早朝ではあったが2人がけ座席に1人座る程度には混んでいた。

小倉で降りる。セブンイレブンに急いで行き、朝食としてチキンドリアと、半日持ちそうな程度の飲み物などを調達する。

乗りつぶしは、列車の乗り換えに便宜が図られていればいるほど、途中での食糧の調達が大変になってくる。 今回だと、次に時間が取れそうなのは長門市だが、長門市はコンビニが確か遠い。自販機はあるけど。そうなるとお昼の宇部新川まで耐えないといけないが、それは長すぎる。

コンビニでも、パンやおにぎりと違って、お弁当はまだ定食チックだし温かいから人権があっていい。あと、サラダも合わせて購入する。そうすることで栄養バランスの偏りが是正される…はずである。最近この技を覚えた。しかし、その副作用としてコンビニとは思えない値段になってしまう。

可能であれば、松屋とかのほうがいいなと思う。

さて、券売機で長門市行きの切符を購入し、急いで戻る。 下関行きは415系1500番代。車体はステンレスで中央本線とかでも見かける感じなので遜色ないが、走行音は古めかしい。

乗客はまばら。門司で降りる人も居た。 最後尾の車掌室後ろの2人がけ座席に収まり、ドリアを食べる。

門司で電気が消えたりして、関門海峡を超え下関へ。

消灯…そんなことあるのか?経費削減なんだろうか。流石に笑う。| かんだ。神田と思ってしまう

小倉で乗り換え。今回の旅行で小倉は3回通った。| 下関行き

朝食。限界旅程になると、結構ご飯の調達に気を使う。しかし食べないのは流石にない。そこは譲れない。| 下関。ホームから小瀬戸が見えた

山陰本線 下関 07:26 → 09:36 長門市

乗り換え4分なので急いで乗り換える。下関のホームもまた、門司などと同様、昔の長距離列車が発着した名残でかなり長い。一方で乗り換え通路は端にあるので大変。

下関からの山陰本線はそこまで混んでおらず、ボックスシートでぼーっとしながら運ばれる。

下関を出てすぐ右手には、共産主義国家にありそうな(ブレジネフカ)集合住宅がある。 その後、貨物が待機している幡生の操車場と、クモハ42がちらりと見える幡生工場。 クモハ42もまたエヴァっぽくはある。

幡生を過ぎて山陰本線へ。この先の駅からも乗ってくる人がいて驚いた。どこに行くのだろう。てか車じゃないんだ。

時々海が見えるが、基本的には里山のような風景がずっと続く。 だんだん眠くなりうとうとしていると、「次は長門古市」というアナウンスがあり、長門市と勘違いして目覚める。 よく見たら違ったのでまた寝たところ、今度こそ終点長門市ですと言われ、急いで荷物を片付け降車。

いざ、山陰本線へ。|

本州最西端の駅らしい、梅ヶ峠駅。右奥になんか見える | 川棚温泉駅。接近案内が独特だ

車窓から見える海 | が、大半の車窓はこんな感じである

美祢(みね)線 長門市 09:53 → 10:58 厚狭

長門市では切符を買い直さないといけないため、駅の外にとりあえず出る。 駅前のステーションホテル1Fに売店があったので、そこを見る。 何も買わないというのもアレだし、ふぐのおすましの素と、わさび???を買う。

店員のおじさんに「どこを目的に来たの」と聞かれ、ただ列車に載っているだけともいいづらく、山口の見物に…と答えるなど。まあ、前仙崎来たし、宇部新川行くし、間違ってはいない。

次は美祢線。ホームにはキハ120 2両が待機しており、これならゆったりと座れるだろうと思ったが、後ろ1両は切り離されていて、単行だった。 ボックス席の付いているタイプで、ボックス席に収まる。

長門市からの乗客は数名だったが、温泉のある長門湯本で数人乗ってきて、他美祢とかでもパラパラ人が乗ってくる。途中で荷物を片付けたりしたものの、全員ロングシートに吸収されていく。そういうものだろうか。

乗車そのものが目的の人は他1名だけだった。前、年末年始に乗った際ももう少しいたが、やはり青春18きっぷのシーズンは露骨に増えるんだろうか。であれば、できれば避けたいものだ。

しかし、人生で2度美祢線に乗ることになるとは思わなかった。 長門市は(長門市⇔仙崎を除いて)三叉路になっているので、どうしてもこのような重複が生じてしまう。 一方で、長門市から一応秋芳洞方向へはバスが出ていたりするし、観光(萩や秋芳洞、湯本温泉)を組み合わせれば苦ではないのかもしれない。

長門市の電光掲示板は数が多いのでちょっと風格がある。〇〇のはなしが来るらしい。| なんか歓迎の幕もあった。

FGOのロリダヴィンチに見える | 2年ぶりに来たが駅前は変わってない

2両に見えるが切り離されている | 美祢線の車窓。山深いほうが落ち着く。

山陽本線 厚狭 11:03 → 11:13 宇部

厚狭についたら、荷物を抱えて跨線橋を渡り、山陽本線のホームへ。

例のごとく末期色(真っ黄色)の115系2ドア4両がやってくるので、乗車。 しかし、こっちは前に乗ったときとは違い、2名掛けの転換クロスシートに1名ずつ乗っていて、混んでいた。

山陽本線は、従来旅客の大動脈でもあり、どちらかといえば幹線として駅が設置されている(故に距離がある)気がして、故に地域密着感はあまりない、というか使いにくそうなのだが。それでもメインどころの市街地を通るためだろうか。生活路線の印象が強くなった。

前に降りた小野田を通り過ぎると、山陽本線の未乗区間(小野田~新山口。あと広島~尾道も残っている)が始まる。といってもあまり車窓は代わり映えしない。 ただ、貨物線?跡が見えた。

次の宇部で下車。意外にも、ここで大半の人が合わせて降りる。

宇部線 宇部 11:16 → 11:31 宇部新川

宇部線は3分の接続だが、5番ホーム着で跨線橋をまたいで0・1番ホームから出るという。 大半は学生で、慣れている(間に合うとわかっている)からなのだろうけれど歩みが遅い。 しかも大多数が宇部線に吸い込まれていく。やはり市街の中心地である宇部新川に皆行くのだろうか。

彼らの隙間を縫って宇部線に乗り込む。

宇部線は前に乗った時も学生で混んでいたが、今回も結構な立ち客が出る程度に混んでいた。

元が私鉄ということもあり、山陽本線宇部新山口間25.3kmの間に中間駅が3駅しかないのに対し、宇部線は33.2kmの間に16駅ある。平均駅間距離は6.3kmに対して1.95kmと、3.2倍くらい違う。

まあ、ローカル線は都市間輸送の役目を終え地域輸送に徹する今の時代、そっちのほうがいいのかもしれない。ただ、大量輸送を発揮できないのなら、バスにしたほうがもっときめ細かな移動需要を拾える気もするが。

宇部新川で降り、これで宇部線完乗である(正確には宇部~居能)。

宇部線小野田線の乗り潰しが大変だったこと

山陽本線にひっつくようにして小野田・宇部線があるこのあたり、多分完乗を目指すにあたり苦労する場所の1つだと個人的に思う。

まずもって、ケーニヒスベルクの橋の問題のような路線構造になっていやがる(路線には全く非はないが)。

そして、一応接続は考えられているものの、一番の幹線である山陽本線自体本数が少ない。小野田線とかもっと少ない。雀田~長門本山なんて1日3本である。 もちろん普通列車しかなく(山陽本線はWEST EXPRESS 銀河ってのがあるが)時間はかかるし、山陽新幹線でショートカットしようにも、厚狭はこだましか止まらない。などなど*1

で、あんまり観光で来ることもない。山口宇部空港というのがあるが、そもそもあんまり安くならない印象がある。また、使ったとしても、秋芳洞とか行くならバスに乗る気がする。

なので、私にとってはかなり目の上のたんこぶのような場所だった。 2020年の年末から翌年始にかけて乗ったものの、一部乗り切れずに残っていたところを、2年の間を経て今回乗ることができ、かなり胸のすく思いである。

宇部新川の散策

さて、宇部新川といえばエヴァである。というか、エヴァ宇部興産、そして過去炭鉱の街であったことくらいしか知らない。

前に小野田線宇部線に乗ったときは、夜で、しかも小野田線から新山口に直通する電車だったため、主要駅である宇部新川には降りなかった。 なので、じっくりと見るのは今回が初めてであった。

とりあえず、乗客がはけるのを待ってから、"""あの"""跨線橋やホームのベンチを撮る。 といっても、エヴァも公開日から相当経ったからか、そのような目的の客は私一人で、他の人はみな足早に去っていったので、すぐ写真に納めることができた。

まあ、当たり前ではあるんだけど、本当に映画に出てきたのそっくりで、違うことといえばそこにシンジくんもマリも居ないし何となく明るい未来ってのもないことくらいだ。 とはいえ、これがあの…という物見遊山的な心は満足した。

例のベンチだ…!(なお、宇部新川は企業城下町だけあり、日曜でもスーツの人が結構いた)| 例の跨線橋だ…!でもシンジくん…シンジくんだけがいない…

真っ黄色だらけだ。昼下がりの休憩という感じ | ポスターはこっち

教会が見えると思ったが、ブライダルやさんらしい。ちなみに、今回は行っていないが、こっち側には宇部市文化会館・渡辺翁記念会館がある。| 反対側。ANAクラウンプラザホテル宇部がデカい。山口宇部空港、ずっとANA系ですもんね。

写真を撮っていたら、碍子の付いた電線がすぐ近くにありビビった。100Vだろうし被覆電線だろうけれども。| ICT

改札を出る。困ったことに、暑い。11月も半ば、東京は10度台が続いていたというのに、何故かこの日は特異的に暑く、25度とかまで上がっていた。

とりあえず、まず折り返しの切符を買う。 ここもまた、あの悪名高いみどりの券売機プラスと普通の券売機が2つ。 特急券も欲しかったので前者に並ぶが、なんだか駅員さんが補助に立っていた。 あまりに待ち時間がかかるとかで、そういう運用になったんだろうか。

宇部周りで」と伝えたら、乗車券分割されますがいいですか?と確認される。 新山口も厚狭も山陽本線が通っているので、旅客営業規則上、新幹線も在来線も同一経路とみなされるということですね。

切符を手に入れたので、荷物をゴロゴロしながら(1泊2日だが、小さなスーツケースを持ってきた)、ポスターの場所に行く。

まあ、なんというか、ポスターどおりである。

ちなみに宇部新川、アクセスが悪いのは致し方ないが、地方都市の割には、駅前は比較的人通りが多かった(人のいない地方都市、本当にいないと思う。車は走ってるけど)。

余談だが、よく「中心市街地の空洞化」と言うけれど、個人的には「中心市街地の移転」じゃないかなと思う。 技術発展により、その地域に最適な交通機関のあり方は変わって来ると思うけれど、その大きなうねりの中で、人の賑わうところも変わっていく。 だから、駅前を活性化するよりも、ロードサイド店舗を、車が使えない人にとっても使いやすくする、そういう方向はないのだろうかと思ったりする(バスで行っても1区画が広すぎてダメか)。 車を使える人と使えない人で完全に行動圏が分かれているのがしんどいなと思う。

宇部新川の駅を出たところ。真正面に宇部興産っぽい煙突が見える | 宇部新川駅。こじんまりとした駅舎である

島通踏切。ポスターは、カメラで言えば結構望遠の効いた絵だと思う。| 振り返って宇部新川駅構内。右側のものは進路表示式入換標識。これ、好みのもの

駅に戻る。暑いので動く気になれない。なんとかローソンまで言って涼む。

時間があったので宇部興産本社くらいは見ようかと思ったが、スーツケースを持って歩くには日差しがいささか強すぎる。 食事を摂ることにするも、小洒落た喫茶店などはどれも駅から微妙に距離がある。 あまりラーメンという気分ではなかったが、駅近くの有名なラーメン一久に行った。

結構な人気店で、私は待ち無しで入れたが、出る頃には待ち客が発生していた。 東京と違い、家族連れや女性だけでもラーメン屋の利用があるのがなんだか新鮮だ。

一番スタンダードなラーメンを頼んだが、美味しかった。 博多のように細麺だったのにちょっと驚いた。 もし宇部に住んでいたらきっと何度も通って食べていた…だろうな。

その後、ローソンでアイスカフェラテを買い、宇部新川の駅に戻る。

駅の写真を撮ったりしつつ、宇部行きの列車に乗る。

今思えば、宇部興産まで行って、宇部港駅に向かう線路の跡とか、見ればよかった。

ホテル アクセス。このポップなフォントが特徴。エヴァのEDでは突然の実写に驚いたのを思い出した | 駅前の交差点から。この突き当りが宇部興産だ。余談だが、左端のマンションの屋上階段がすごい。途中で折れ曲がっている。構造的に大丈夫?

宇部新川駅。あの南国風の木が目立つ | バス乗り場。結構本数がある。右端の沖ノ山は炭鉱の名前で聞いたことがあるが、通勤ようなんだろうか。1本だけだと維持路線?

ラーメン一久のラーメン | やけにカラフルな地図

宇部新川駅舎内。どことなく小野田港駅に似ている

宇部新川駅 1番ホーム。池と、あと線路に直交する(駅舎に向いている)番線表示が面白い | クモハ123-6

黄色だらけ。新幹線や空港へのアクセスのいい新山口方面の列車を待っている人が多かった。

クモハ123-6。表示が半分落ちている… | これから乗るやつ。ちなみに、クモハ123系はこのあたりには5両しかいないので、そのうち4両を見たことになる

宇部線山陽本線山陽新幹線 宇部新川 12:52 → 13:04 宇部 13:16 → 13:40 新山口 13:55 → 14:13 小倉

おなじみ105系2両。宇部新川始発なので最初は空いていたが、そのまま空いたままで発車するかと思いきや、新山口方面からの列車からの乗り継ぎ客が発車間際にどっと乗り込んできて、まあまあの混み具合で出発。

あっという間に宇部で、山陽本線に乗り換える。今度は前ほどは混んでいなかった。

宇部から隣の新山口は、これまた似たような車窓が続く。ただ、駅間の距離が長いしクロスシートなので快適ではある。

新山口に着く直前、新山口では20分以上止まりますというアナウンスが流れる。 新山口の先まで乗り続ける人はいないのだろうけれど、それでもなかなか大胆だなと思う。

新山口ではおみやげコーナーを物色。厚狭と違いのぞみも一部止まるような駅のため、コンパクトな割には色々店も充実しておりいい駅である。

ジェネリック萩の月のような、「月でひろった卵」というものを買う。 山口には萩市があるので、めちゃくちゃややこしい。

なお、チーズが混ざっており、本家萩の月とはまた違った味である。

新山口からはのぞみ。 できれば、指定席が快適なさくら・みずほに乗りたかったが、時間が無いので仕方がない。 充電しつつ、あっというまに小倉へ。

ちなみに、どうでもいいことであるが、西日本のアナウンスにおける「山陽線」のイントネーションは「さ→ん↑よ↑う→せ↓ん↓」のようで、私の想像していたもの(そもそもが「山陽本線」と言うというのもあるが)「さ→ん↑よ↑う↑せ↑ん↑」と全然違う。

長大なホームを持て余し気味に見える宇部 | 側線もいくつか残っている

宇部の改札 | 脇には宇部市街地の案内があった。やはり中心は宇部新川らしい

あまり他では見かけない、古そうな列車の接近表示がまだ使われている | 安心の2ドア末期色。転換クロスシートでいつも空いていて快適で好きだ。

新山口で購入した、月でひろった卵 | 小倉の直前では、新幹線の車窓から日本製鉄の八幡の製鉄所が見えた。

鹿児島本線・若戸渡船 小倉 14:24 → 14:31 戸畑 → 若松

急いで乗り換えて鹿児島本線に乗る。結構混んでいる。立ったまま戸畑。

戸畑からは案内板に従って若松渡船の乗り場に向かう。 目の前に巨大な若松大橋が聳える。 思ったより高いところを走っており、東京でいうとレインボーブリッジくらいの存在感だ。 こうも高いと、橋の歩道歩くって気にならず、渡し船使い続けるよなあと思う(なお、橋の歩道は結構前に廃止されたみたいだ)。

渡し船は100円という安さ。券売機で切符を購入し、乗り込む。

小さい船で、ちょうど後ろのオープンデッキが空いていたのでそこに座る。 旅行で2回も船を乗るなんて、なかなかない。

出発するとあっという間に陸を離れる。結構早い。 途中、日本水産の短波のアンテナ塔が見え、写真に納める。

そうこうしているうちにすぐ対岸の若松である。勢いを付けたまま着岸したため、椅子から落ちるかと思った。

そこからは洞海湾沿いの通りを歩いて若松駅へ。 途中、商業施設のサンリブ若松に寄る。 意外と時間がないなかで、サンリブ若松の前にある若松市民会館がまさかの通り抜けができず、焦った。 小走りで若松駅まで向かい、なんとか間に合った(筑豊本線、若松~折尾は郊外でそこそこ市街地を走るから本数が多いように思っていたが、データイムは30分間隔である)。

戸畑。ホームから既に若戸大橋が見えている。デカい | 一段下を貨物線が通る

橋の方に向かって歩いて行く | 渡船乗り場。若戸大橋はかなり上にある。高さ80m以上あるらしい。昭和37年製にしてはデカい

若戸渡船。昼間だからか小型の船の方が使われていた。せっかくなので後ろのオープンデッキに乗る

出発 | 主塔

ニッスイ戸畑ビル。今は記念館らしい。短波のアンテナ塔が目立つ | 岸が離れていく

洞海湾。恥ずかしながらこの名前は初めて知った | 5分足らずで若松側に到着

若松側の乗り場 | 近くに幾つか産業遺産があるようだ

上野海運ビル。大正製 | 渡船乗り場

洞海湾と若松 | 反対側。皿倉山とかかな

若松港内交通管制室(牧山信号所)。○は出港信号。この洞海湾は、時間によって入港と出港が切り替わるらしい | 旧古河鉱業若松ビルと矢野海運ビル。アンテナが乗っかっている

塀だけ残っている、ように見える | こんなところにも、観光地によくあるこれが

若松海上保安部があるらしい。20メートル型高速巡視船 やまざくら | アンテナがたくさん乗っている。あの4並列はなんだろう

沖仲仕。コンテナ物語で出てきた仕事だ。

弁財天上陸場 | 芳野病院。階段室が異様に縦に長い。上の部分は中に何があるんだろう

若松駅まではまだもう少しある | サンリブ若松

筑豊本線 若松 15:26 → 15:42 折尾 15:46 → 16:06 直方 16:15 → 16:31 新飯塚

若松駅は、貨物ヤード跡は既に駅前広場になっているものの、2両編成の列車に対してホームの長さと幅が大きく、まだまだ空間を持て余し気味に感じられた。

あと、改札があるにはあったのだが、切符投入口は封じられていて(ICカードのみ対応)、駅員さんも不在だし、乗車駅証明書発行機もないしで、一体これで管理できるのか、よくわからなくなった。

ここからはBEC819系という蓄電式の列車に乗る。乗客は数人だったが、途中駅での乗降もそこそこあった。

折尾の6・7番ホームに着く。同じ筑豊本線なので同ホーム乗り換えと思っていたら全然違った。 折尾はその複雑な構造を解消するため大きく工事したと聞いてはいたが、それでも4分乗り換えで一番遠いホームに移動するのは大変だった。

コンコースに降りると、駅弁の立売を見かけ、主要駅でもないのにと驚いた。どうも、この名物かしわめしを売る東筑軒というお店は有名らしい。 だがしかし食事という気分でもないので買わず。

漸く直方行きに乗りこむ。日曜の昼間だからか、相変わらず若者で混んでおり、立ったまま。 途中の駅で漸く座ることができた。

ロングシートでは旅情も何もないなあと思いつつ、車窓の田んぼなどを眺める。

筑豊本線は基本複線だが、どうも過去の遺産を持て余しているように思えてしまう。 ラッシュだと違うのだろうか。

筑豊本線とは関わりのない人生であるが、唯一、昔、私がまだ小学校の頃、筑豊本線に日本最後の普通客車列車が走っていて、それが遂に廃止されると鉄道雑誌で読んだ記憶がある。 乗りに行きたかったが、小学生ではどうにもならず、鉄道が好きだったその頃の私はずいぶん悔しい思いをした。

大半の列車がそうであるように直方で乗り換え。今度は博多行き。 私は北九州の土地勘など全く持ち合わせていないので(かろうじて小倉・博多と、炭田のあたり(直方・飯塚)をアバウトに認識しているくらいだ)、博多まで向かう鹿児島本線から離れたのに、博多行きが登場すると、結構困惑する。

今度は、日豊本線よりはまともな813…811?系。JR九州なんて乗らないので車両もあまり区別がつかない。 転換クロスシートで、2人がけに1人ずつくらいの乗車率。

新飯塚から先、篠栗線も、筑豊本線も、どちらも未乗なのだが、今回は新飯塚で降りる。

若松駅の改札 | 若松駅ホーム

客車列車の頃の名残だろうか、機回し線と思しき側線が残っていた。ここにも進路表示式入換標識のようなものが | 逆方向にもくっついている

BEC819系の車内。うん、デザインだけはいいんだよね、デザインだけは… | 折尾の昔のホーム跡。まだ残っていた

後藤寺線 新飯塚 16:47 → 17:08 田川後藤寺

時刻表で見るとページの端っこに掲載されている後藤寺線である。 1時間に1本あるので割と本数は多いほうだ、その距離の短さ(途中4駅、13km)が際立っていると思う。

朝に下り1本だけ途中止まらない快速が走っており、個人的にはそれが気になるが、そこまで選んでいられない。

意外にもキハ40の1両で、その割には多くの人が乗り込んでいた。 ボックス部分ではなくロングシート部分に乗り込む。

ロングシートなのでそこまで車窓が見えるわけでもなく、なんか似たような場所を走っているなあと思っていると、20分くらいで田川後藤寺着である。

ちなみに、この直方平野においては、石炭産業の衰退に合わせてか、数多くの路線が三セク転換・廃線となった(下鴨生から分岐していた漆生線の他、上山田線伊田線糸田線添田線、田川線宮田線)が、その中にあって、比較的長大で平野外にまで伸びている筑豊本線日田彦山線の他に、この後藤寺線だけはJRの路線として生き残っている。比較的規模の大きな田川市飯塚市を結んでいたためだろうか(ただ、今は輸送密度2000を切っているらしい)。

新飯塚のどデカい乗換案内 | 後藤寺線。まさかの1両だった。車両が汚い。あと方向幕が紫で、珍しい

日田彦山線 田川後藤寺 17:22 → 17:37 添田

続いては日田彦山線。これもまた未乗線区である。 この日田彦山線、2017年の集中豪雨により添田~夜明間が不通となってしまい、そのまま復旧費用で揉め、結局添田以南はBRTすることとなり、添田までの普通列車の運行となっている。

不通じゃない場合Y字状になっており乗りつぶしに苦戦していた可能性があるが、現状は添田で折り返しという運行形態なので、大人しく添田まで往復する。

なお、私はBRTには全く興味が無いため、多分乗ることはない。まあでも英彦山登山とかはあるかもしれない。

さて、後藤寺線からの乗客は大半が小倉行きに吸い込まれていった。 私は自販機で飲み物を買いつつ、添田行きに乗って発車を待つ。

この添田行きは、折り返しは小倉行きという運用の都合なのか2両編成だったが、私の他に2組しか乗っておらず、空いていた。旅行中一番空いていた(平日ならもっと混んでいたのかもしれない)。

ローカル線であれ幹線であれ、空いているかどうかは需要(乗客数)と供給(両数と列車本数)の問題で、たとえ超閑散路線であっても、1両の単行運転のところに休日で物見遊山の客がどっと押し寄せれば当然混む。 だから、ローカル線といえど空いているとは限らないという警戒心が最近強いのだが、この区間はいい意味で期待を裏切ってくれる路線だった。

他のお客さんも途中でおりてしまい、添田につく頃には乗客は私一人だった。

田川後藤寺駅。真ん中に側線跡なのかスペースがある。

ここも構内が広い | 乗ってきた後藤寺線の時刻表

たがわごとうじ | 小倉行き。後藤寺線からのお客さんの大半はこっちに吸い込まれていった

跨線橋を渡る。他では見たことのない電光掲示板があった | 私が乗るのはこっち。添田行き。これも方向幕が紫に見える

車体には結構補修跡が | JR九州のキハ40系らしい車内

日田彦山線 添田 17:58 → 19:03 城野

添田駅は絶賛工事中で、ホームを降りるとだだっぴろい空き地に工事用の通路があった。そのせいで、駅舎というものがそもそもあるのかすらよくわからなかったが、順路に従って行くと駅舎が現れた。

もともと添田線の駅だったところにホームを設けたため、駅舎が離れているのは元かららしい。

あまり検索しても出て来ないが、添田駅舎内には簡易的な売店があり、色々売っていた。 あと、駅舎の空きスペースを利用して古い写真などが展示されていた。

それらを一通り見て、長い工事用通路を歩いて列車に戻る。

帰りの切符は、ホーム上に券売機があるのでそこで購入した。 JR九州の券売機はなんだかバリエーションが豊富だと思う。

添田からの列車は小倉行きなのでそのまま乗り通せば良い。 途中、さっきみたいに田川後藤寺から大量にお客さんが乗ってくるかと思ったが、遅い時間だからかあまりそのようなこともなく、結局城野まであまり人は乗ってこなかった。

かといって、11月で車窓は既に暗く、本を読んだりして過ごした。

夕暮れの添田駅で折り返しを待つ列車 | 工事中の添田駅

真ん中奥に見えるのが駅舎 | 駅舎

駅舎入口 | 中はこんな状態

古い写真が展示されていた | 英彦山だろうか?登山届の啓発ポスターがあった。でもここから英彦山に行く人いるんだろうか

ぶれてしまっているが、駅舎の前の道路 | ホームを振り返る

折り返しの列車車内

日豊本線・バス 城野 19:07 → 19:17 朽網 19:27 → 19:46 北九州空港

城野で乗り換え。朝乗って以来の日豊本線である。 座ったのかどうか、記憶がない。

とりあえず朽網(「くさみ」と読む。読めんわ)で下車。

ここまで、あまり遅れることもなく、時間通りについてまずは一安心である。 前に北海道に行ったときなんか、豪雪で交通網はバスも鉄道も大荒れであったから、ああいうのを一泊二日の土日でやられたらたまらないなと思っており、そのような中で本数が少なく遅れそうなイメージのあるローカル線を乗り継いでいくというのは、賭けといえば賭けであった。

朽網からは普通の路線バスで北九州空港へ。 小倉からの直通バスがメジャーなんだろうかと思っていたが、朽網からの人も10人弱いた。

外は既に真っ暗で、ただ、長い橋を渡って空港に向かっていることだけはわかった。

飛行機 北九州空港 21:10 → 22:40 羽田空港

北九州空港では、時間が時間だったので、とりあえずダッシュで食事をした。 ただ、食事処が、博多ラーメンかそばという麺類の二択で困ってしまった(ご飯モノは?。カフェは既に閉まっていた)。 流石にそんな何度もラーメン食べられないので、そばにした。

そして、閉店間際のお土産屋さんでお土産を購入した後、荷物をまとめた上でチェックイン。

どうも後方は空いているようだった(3-3の配置だったが、真ん中が空席にできた)ので後方に座席を変更。

「大きなお荷物はなるべくお預けください」とか「気流の問題からお手洗いは先にお済ませください」とか、あ、そういうこと呼びかけるものなんだと思うアナウンスが流れていた。

21:00に搭乗開始、21:15に5分遅れで飛行機は出発。乗ってからドア・クローズまでがかなり早かった。 事前の放送ほどは飛行機は揺れずに羽田着。半分くらい寝ていて、残り半分は本を読んでいた。

株式会社地主の広告。北九州関係あるんだっけ? | かぐや様は告らせ杯…

京急 羽田空港第1・第2ターミナル 23:07 → 23:21 平和島

荷物を受け取り京急へ。

さて、この京急だが、まさかの大混雑だった。 まさか23時台にもなって、通路が人で埋まる程度に混むだなんて全く想像していなかったので驚きである。

そんな中で、座席を2つ使ったり、扉部分に滞留したままで奥に詰めなかったりする人もいて、あまり都会派のマナーという感じではなかった(確かに地方ではそれでよいのかもしれないが…)。

最後の最後でかなり疲弊し、平和島でおりた。

しかし…本数、増やしてほしいなあ。あと、空港線の途中駅に止まるのやめてほしいな。時間かかるし、あんまり乗り降りしないんだから。分離してほしい。

ということで、0時過ぎになんとか帰宅し、この旅行も無事終えました。

*1:超絶関係のない話だが、1993年8月の時刻表を眺めていたところ、山陽本線のこの辺りを走る優等列車寝台特急の停車駅が、下りだとさくら:徳山・小郡・宇部、富士:小郡・厚狭、みずほ:徳山・小野田、はやぶさ:柳井・下松・防府宇部、あさかぜ1:徳山・防府宇部、あさかぜ3:柳井・光・徳山・防府・小郡・宇部、とかなりバラけていて面白かった。このあたりから立席特急券で乗れるようになるので、なるべく利用客を拾おうという工夫なんだろうか。他に、上りだけ下関発の特急おきがあり、下関・幡生・長府・厚狭・宇部・小郡に停車していた。その間合い運用らしい、小郡発下関行き快速もあったらしい(山陽本線内、小郡・宇部・厚狭・小月・新下関・下関にしか止まらない)。よく見てみると気動車列車が何本か有り、小野田発の山口線とか、謎の運用がある。