旅行の計画など前準備は、別の記事をご覧ください。
飛行機に乗る
羽田空港から飛行機に乗ります。羽田からの稚内行きはこの時1日1便で、10:25発です。国内線なので1時間前に着けば十分余裕があるかなと思ったのですが、結局着いたのは09:30くらいでした。(京急の10分間隔の羽田空港行きを1本逃してしまい慌てた。) まずATMでお金を預けます。今回はセブン銀行に預けます。行き先に都市銀行のATMがなく、提携先ATMだと手数料がかかるので。旅行をするにしても金策から…。
次に、手荷物を預けます。最近、自動で手荷物を預けられる機械が設置されたので、便利になりました。これ、世界中にとっとと普及して欲しいです。
稚内行きに乗ります。急いでいたので搭乗口の写真とか無いです。普段は、ちょっと贅沢をしてスタバのコーヒーを持ち込むことに決めているんですが、今回は時間が無くてダメでした…。早速飛び立ちます。
この日の稚内行きは、概算で登場率50%強くらいでした。3列シートに1, 2人くらい。確かに年末年始、観光のオフシーズンなので乗る人が少なさそうですが。データで見ると、2017年1月の搭乗率は国内線全体で62.2%[?]、羽田 - 稚内線が34.1%、札幌 - 稚内線が27.2%、存続が危ういと言われる羽田 - オホーツク紋別線が58.6%とか。低!多分羽田線でワーストです。稼ぎ時であろう夏の場合は、2016年8月で、国内線全体が71.0%、羽田 - 稚内線が67.5%、札幌 - 稚内線が59.8%、羽田 - オホーツク紋別線は58.0%です。こちらは少し稚内線に分がありますね。ですがしかし、稚内線も存続大丈夫なんでしょうか…?
この日は羽田B滑走路から飛んだのかな。離陸してすぐ右側に急旋回します。中央防波堤などが見えます。 風が強かったのか随分音がしました。あと初めて加速 (Gが大きい) で胃がムカムカしました。
印旛沼が見えます。
利根川を渡ります。見えているのは常磐線と水戸街道の大利根橋です。
筑波山が見えてきました。ここは流石にまだ雪が降っていないですね。
雪が出てきました。
太平洋のようなものが見えます。まだ茨城辺りなのでしょうか。もっと北か?
岩手山が見えました。思ったよりも早く移動しています。火口とスキー場がよくわかります。
こうしてみると小さいですね。最初は安達太良山かと思っていました。調べてみたら岩手山の標高は2038mで、思ったよりも高くないか。結構裸地の部分が少ない。
それからは東北の上空を飛行していきます。前回の新千歳へのフライトの際も、後で地図とにらめっこしないとどこに要るのか分からなかったのですが、今回も似たような風景だなあと眺めていたらいつの間にか下北半島上空になっていました。 六ケ所村の上あたりです。石油備蓄基地と、六ケ所原燃、そのための道路とかが見えます。
下北半島の先端まで来ました。ここから津軽海峡を渡ります。新千歳行きだとこのあたりで降下し始めるので忙しないですが、今回はもうちょっとだけ空の旅が続きます。
高度41000フィートを飛行中。(このあたりで表示が地図に。)
日高山脈が見えてきました。凛々しいですね。その周りが平たい分目立って、なんだか背骨みたいです。ずらっと並んでいる。
苫小牧付近で北海道に上陸。真っ白。鉄路だと数時間掛かるのに飛行機だと1時間ちょっとですから、早いものです。
北海道、蝦夷は開拓が比較的早いからなのか、縦横きれいに整然と道路が並んでいて、しかもその間隔が広い。そして集落が全然見当たらないのですよね。地図でも見るとそうなのですが、実際に空から見てみて、その広さ (と人口密度の低さ…) を実感します。
下の写真は、空知郡南幌町。大きな川が夕張川。右下に長沼町。途中まで斜めに走っている道路が特徴。奥は栗山町です。
滝川の辺りです。石狩川が大地を自由奔放に流れていますが、他は真っ白。 向こうに見えるのは大雪山でしょうか?
山深くなってきました。このあたりに昔、深名線が通っていたんでしょうか。(北海道は景色が単調で、途中から飽きてきちゃいますね…)
天塩郡天塩町中産土。川は天塩川、下で丸くカーブしているのが国道40号。
幌延町です。川に天塩大橋が掛かっています。
幌延の町です。
この辺りから、木の生えていない、なだらかな形容の丘が増えてきます。
北海道稚内市声問村上声問。タツニウシナイ川が流れてくるところです。
稚内空港に東から侵入するために、ここでぐーっと右に曲がります。宗谷丘陵を跨ぎます。ずっと先まで続いていますね。
日本海側です。猿払が見えます。
宗谷岬ウィンドファームが見えてきました。圧巻ですね。
奥には樺太です。
どんどん高度を下げていきます。
空港に着陸しました。北海道の北の端ですが、飛行機だと約2時間、遠いようで近い場所でした。しかしこれから3日間もかけて、さっきまで見てきた北の大地を移動していきます。
稚内駅に行く
帰省の上りラッシュもあってか、空港は千歳行き・羽田行きを待つ乗客で意外と混んでいました。稚内便の空き具合とは対照的です。
連絡バスに乗ってまず稚内駅に向かいます。この連絡バスは乗り換え時間がかなり短い(公式には、千歳便で5分、羽田便で10分)ですが、全部乗りそうな人が乗ったことを確認してから出発していました。
途中、声問の集落を通ります。ここで宗谷岬行きのバスに乗り換えられますが、漁村のような感じなので待つ間暇そうです。1軒だけ幟の立っている定食屋が見えました。喫茶ハビィかな。 https://tabelog.com/hokkaido/A0109/A010901/1022521/
駅に着きました。稚内は日本最北端の人口3.56万人[^1]の市です。歴史は長く、樺太との連絡航路の玄関口でもありました。その玄関とも言える稚内駅は、2012年[^2]に建て替えられた新しいもので、内部に土産屋、定食屋、映画館などが入っています。
駅を降りて驚くのが、ロシア語が道路標識に併記されていることです。ロシアの漁船が、オホーツク海の海産物を売りに来るのだとか。市内にはロシア料理店もあります。ロシアの人は見ませんでしたが、海を挟んで大国ロシアが確かにあるのだと実感します。東京にいると、西欧諸国と比べロシアは心理的距離が遠いので尚更です。
商圏に関して面白いのは稚内信用金庫でしょうか。他の金融機関と比べ自己資本比率が相当に高い信金です。まあ、後で知ったことだけれど…。他の産業については、手っ取り早くググって出てきた以下のpdfが分かりやすい。 05wakkanai.pdf
宗谷岬に行く
さて、宗谷岬に向かいます。稚内駅前ターミナルから宗谷岬行きのバスに乗ります。このバスは1日7本と数が少なく、13:20のに乗り損なうと次は16:20です。バスのりば自体は分かりやすく、隣にお馴染みセイコーマートがあり、宗谷岬までの往復切符もバスターミナルの窓口で購入可能です。
このバスは鬼志別行きですが、路線自体はそこから浜頓別経由で音威子府まで4時間の道のりの長大路線で、1989年に廃止されたJR北海道 天北線の代替バスです。鉄道が廃止になった後、代替バスも沿線の人口減によって、観光収入を見込める宗谷岬経由へ経路が変わったものだそう。元々天北線が通っていた内陸の曲渕等へは、曲渕線が今は通っています。
なるほど確かに、観光客が手っ取り早く宗谷岬に行こうとしたらこのバスを使うより他ないので、その目論見は一定程度正しかったように思います。が、そもそも北海道に来る観光客はレンタカーを使いがちなので、実際のところ効果の程度はどうなのでしょうか…。
北海道は集落がまばらに在るので、それらを結ぶインフラの維持の大変さを感じます。
バスに乗って出発です。途中、市街を通り抜けていきます。
意外と雪は積もっていません。でも、やはり人は歩いていない…。稚内市街自体は、そこまで高層の建物がなく (駅付近くらい) 、すぐに住宅街のようになりました。
どうみてもマークが西武な西條デパート (実際は総合スーパー) です。名寄にもあります。おばあちゃんが沢山乗降しました。サーティワンアイスクリームが入っていて、結構混んでいました、東京の先端の文化が輸入されたということで皆行きたがる風潮、平成でもあるんでしょうか。
ここを運営している株式会社西篠、売上高が182億円で結構大きいんですね。これだけ見ると、東証一部上場のメガネスーパーくらいで、百貨店ならJASDAQ上場のながの東急百貨店 (2017年1月期が197.5億) くらいでしょうか。あと、ロゴが西武に似ているのは下記の理由で繋がりがあるからでしょうか。
日本百貨店経営協議会 解体前のセゾングループ(西武百貨店)が主導した、地方百貨店との共同仕入グループ。当社も加入していた。「西條」の枠囲みロゴも、当時の西武百貨店のものと類似している。(Wikipedia)
声問の集落です。空港連絡バスからここで乗り継ぎも可能です。(但し国道脇の何もないバス停)
海岸線に出ました。ここからは宗谷の集落までひたすら走ります。大体14時前でしが、緯度が高いこともあって[^3]陽が低かったです。その分景色が綺麗だったので自分は歓喜していました。
宗谷岬ウィンドファームが見えてきました。風車が特徴的です。どことなく、新海誠監督の「雲のむこう、約束の場所」を思い起こさせるような風景です。
岸辺の海水が凍っています。遠くに低潮線のようなものが見えます。意外と遠浅だった。
海岸沿いの集落がポツポツ出てきます。ちなみに宗谷岬という地名の他に、宗谷という名の集落もあります。
宗谷岬に着きました。冬ながら他にも観光客数名が降ります。客層は様々。周囲には公衆トイレが2つあります。
オフシーズンなので、流石にどのお店も閉まっていました。唯一、青い建物のお土産屋産 兼 流氷館だけが営業していました。ここで「日本最北端到達証明書」なるお土産を購入できます。
上記の商品はすべて当協会が協会加盟店へ卸販売している商品です。お買い求めは卸し先の協会加盟店でお願いします。販売しているお店をお知りになりたい場合は当協会までお問い合わせ下さい。
なかなか社会を感じる。
低潮線保全区域だそう。排他的経済水域は低潮線によって決まるので、国境たる宗谷海峡の低潮線が国として重要ということでしょうか。大臣の許可がいるとは。確かに、勝手に削られたりしたら大変ですが。 http://www.kaiho.mlit.go.jp/info/books/report2011/html/tokushu/p030_03_03.html
周囲はこのようになっています。
間宮林蔵像だけがぽつんと建っています。荒涼とした景色を見てやっと「最果てに来たんだなあ」と実感します。何しろ数時間前まで東京だったので。
遠くにうっすらサハリンが見えます。人生初、肉眼でロシア。
エキノコックス症の注意喚起。東京だと、野獣に触れる際に病気を気にする人は稀有だと思いますが、これは環境が整っていて恵まれているのかな。
宗谷岬の例のモニュメントは、記念撮影がひっきりなしに行われているので後回しにしました。丘の上に登ってみます。ここには、大岬旧海軍望楼と、大韓航空機撃墜事件の慰霊碑があります。
慰霊碑がこちら側にあるのが恣意的なのか地理的必然なのかわからないですが、鉄のカーテンがあった時代と、向こう側の不透明さを感じました。
ここからの宗谷の丘の景色は、とても素敵でした。何もないを探していたので、これは良かったです。ちなみに、宗谷丘陵では日本には珍しい周氷河地形で、北海道遺産に指定されています。過酷な環境で、火事で焼けた後木が生えていないとか。
風紋 (シュカブラ, skovla) です。風が強い。
丘を降りて、集落と日本最北端の碑 (“”“例のモニュメント”“”) を見ます。
見える範囲のものは見たので、バスの待合室に入ります。旅のノートがありました。自転車で一周が皆好きらしい。
バスで稚内に戻ります。
お昼を食べる時間がなかったので、何か食べようと、Google Mapで見つけた海鮮丼屋に行ってみました…が、団体貸切で入れず。無念。
仕方がないので駅まで歩いて戻ります。
この高架は、JR北海道 宗谷本線の高架で、日本最北の高架…なんでしょうか。他にも市内には様々な「日本最北端」があります。しかし、日本最北端の地そのものは公式には択捉島の北端のはずで、稚内がこれを謳って観光資源化するのは文句を言われないのでしょうか。
旧瀬戸邸は市のウェブサイトに載っていた文化財ですが、時間的に中に入れず、外から見るのみにとどめました。 http://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/kyoiku/kakusyushisetsu/setotei.html
他、稚内の建物コレクション。
駅舎の定食屋さん「お食事処ふじ田」に来ました。ホタテ丼。稚内で水揚げされたのかはともかく、美味しかったです。お腹が満たされました。何より昼と夕方の間の中途半端な時間に入れたのが良かった。
稚内駅です。真新しいですが、列車に関わる部分は有人改札1つ、券売機1つ、あと窓口とこじんまりとしています。列車も1日に7本で、乗降客数は100人程度。駅舎とのギャップに違和感が拭えませんが、人口3.5万人の玄関口という威信なのでしょうか。ちなみに、この時間でももう辺りが暗くなっていて、北国の昼の短さを感じました。
本日のお宿、ANAクラウンプラザホテル稚内です。チェックインと荷物置きを兼ねて、一旦来ました。ANAの旅作のあの安さで泊まっていいの?と思わず思ってしまうような立派なホテルでした。地元の人は晴れの日に食事したりするんでしょうか。一方で、2000年前後の利尻・礼文の観光ブームから一転、経営は大変そう…なのでしょうか。お客さんを見かけず。そんなこともあってか、運良くツインの部屋に通してもらいました。
翌日、朝1番の特急に間に合うように朝食が食べられることを確認して一安心。次に、北海道の一番上にある2つの耳の左側、ノシャップ岬に向かうことにします。部屋からの眺め。
ノシャップ岬 : 街灯がないという洗礼を受ける
再び駅ターミナル。ここからノシャップ岬に行きます。ノシャップ岬までは市の中心部で、4つの系統のバスが通っており、1時間に3〜4本程度と結構な数のバスが出ていますが、一方で観光地要素は薄いのか、特段専用の切符が売っているわけではありませんでした[要出典]。バスは、サラリーマンと学生くらいで空いていた。
本当は抜海のアザラシを見に行くというのもあったのですが、流石に暗いし、誰もいないから行き倒れになりかねないし、うーんやめとこ。ということで辞めました。多分これでよかったと思ってる。
ノシャップのバス停に着きました。ここからノシャップ岬までは少し歩きます。Google Mapによれば、途中に「樺太食堂」という食堂が有り、水族館が有りと、きっとそれなりに分かりやすい道なのかと思っていたのですが…
… (交差点、正面は海、右に曲がるとノシャップ岬灯台)
…いや分からないでしょ!まさか街灯がないだなんて…。人一人いないどころか人家もスカスカで暗く、全く先の見えない交差点と暗闇から聞こえる冬の海の音。ここで間違って海に滑り落ちたら、誰にも見つけられなさそう。おお恐ろしい…。岬の名前はそれなりに有名だから、夜でも大丈夫かと思ったんですが…そもそも街灯すら無いだなんて。
下の写真は来た道を振り返ったもの。途中に闇の帯が広がっている…
ここを直進すれば岬がある。
フラッシュを焚いたら水族館が見えた。
焚かないとこう。高いところにある明かりがノシャップ灯台の灯りでしょうか。
ダメです流石にギブアップです。ということで、何とかノシャップのバス停に戻ってきました。まあ、ここも十分薄暗いんですが…。
寒さに耐えつつ待つこと数分、駅行きのバスにほうほうの体で乗り込み、駅に戻りました。駅ではイルミネーションが少しだけ点っていました。この時の自分は街灯に圧倒的感謝していましたが、確かにこれと比べちゃうと、東京や札幌の夜の綺羅びやかさに憧れる気持ちもなんとなくわかります…。
ホームにはちょうど特急サロベツが到着していました。意外と降りる人が居た。
ANAクラウンプラザホテル稚内です。あまり部屋の電気が灯っていませんね…。今になってこの写真を見て、折角なので最上階のバーにも行っておけばよかったなあと後悔しています。
夜の防波堤ドームを見に行く。
次に、防波堤ドームを見に行きます。稚内と言うと、多分宗谷岬の次くらいに有名な場所です。段々文章を書くのがだるくなってきたので写真だけ載せます。
確かに、アーチがずらりと並んでいるのは、ギリシャの神殿のようで圧巻です。一方で、昭和・平成に修繕の手が入ったために、建築物そのものに古さは感じられなかったです。
この先にも防波堤が続いていますが、入れるのはここまで。
夜の海が自分は嫌いで (全てを飲み込む、命を吸い取る暗さ) 、防波堤ドームの壁の向こう側からひたすら波の音が聞こえるのは若干心細くなります。
海上保安庁の巡視船「りしり」が停泊していました。子供の頃は、この海上保安庁の黒青白のマークが格好いいと憧れていました。
ホテルに戻ってきました。ホテルにありがちなエレベーターのボタンパネル。廊下が曲線になっていて面白いです。
この後、ロシア料理屋「ペチカ」に行こうかと思っていたのですが、初日ということもあり、気がついたら疲れて寝ちゃっていました…。
2日めに続く
豊富〜稚内間のバスについて
P.S. 最近調べたら偶然分かったのでメモします。
稚内と豊富の間は、路線バスがありません。このために移動手段の選択肢が少なくて、この旅では結構苦労しました。 で、最近昔は走っていたという話を見つけたので、メモしておきます。情報を総合するに、どうも
- 昭和54年 沿岸バス・宗谷バスが相互乗り入れ (夏季のみ、4本/日)
- 昭和62年 この段階で夏季のみ、2本/日
- 平成9年 豊富〜稚内線 廃止
- 少なくとも2008年ごろまで 宗谷バス サラキトマナイ線が稚内〜上勇知まで (1本/日)
- 平成23年 サラキトマナイ線が乗合タクシーに
という状況だったようです。市域をまたぐためか、利用者が少なかったようです。途中にあるサラキトマナイ (更喜苫内) の学校も廃校になってしまったとかで。上勇知までに短縮して、宗谷バスが補助を受けつつ運行していたという状況でしょうか。
この豊富稚内線の存在自体は沿岸バスのWikipediaページにも書かれています。
豊富稚内線 稚咲内 - 原生花園 - 豊富駅 - 稚内駅前ターミナル 江辺頃別 - 豊富温泉 - 豊富駅 - 稚内駅前ターミナル 宗谷バスと共同運行。
宗谷バス サラキマトナイ線の存在は以下のページによる。
地名はアイヌ語らしくカタカナ表記のサラキトマナイですが、学校は更喜苫内という結構面倒な当て字がされていました。ここを走る宗谷バス サラキトマナイ線ですが市内~上勇知間を1日1往復半の超過疎路線です。 花柄クジラ号で吹雪の稚内さんぽ�A(声問編)
乗合タクシーについては以下のpdfが役立ちます。
【名称】更喜苫内地区乗合タクシー 【導入経緯】 更喜苫内地区を運行していた「サラキトマナイ線バス」は、市内への通学生の利用が主体であり、近年の児童・生徒の減少に伴い不採算状態が続き、市単独補助路線として運行されてきた。 そこで、一般客の利用が少ないことを踏まえてバス路線を廃止し、児童・生徒の市内への通学手段(スクールバス機能)を兼ね備えたデマンド型の「乗合タクシー」の導入が検討された。 なお、運行については「天北地区、恵北・増幌地区」と併せて行うものとし、平成22年度から実証運行を開始し、平成23年10月からは本格運行に移行している。 http://www.town.hamatonbetsu.hokkaido.jp/d_soumu/s_kikaku/2310/files/20140415211802.pdf
豊富稚内線に関しては、沿岸バスのTwitterアカウントで昭和62年の情報を載せていたので、それ
【期間限定バス】今年度も豊富稚内線(豊富駅前~稚内駅前)の運行が決定しました。昭和62年6月1日(月)~10月31日(土)の期間限定で2往復運行します。路線の維持のため、皆様の積極的なご利用をお願いいたします。#昭和62年の沿岸バス 沿岸バス@5/21 小平番屋まつり on Twitter: "【期間限定バス】今年度も豊富稚内線(豊富駅前~稚内駅前)の運行が決定しました。昭和62年6月1日(月)~10月31日(土)の期間限定で2往復運行します。路線の維持のため、皆様の積極的なご利用をお願いいたします。#昭和62年の沿岸バス https://t.co/wgVJKsKiC4"
こちらも (1日限定復活のを載せるのはどうかと思ったんですが…一応) http://archive.li/mIEdx#selection-2925.23-2935.15